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長崎地方裁判所 昭和60年(行ウ)5号 判決 1988年1月26日

原告 鳥越雍子 ほか三名

被告 長崎労働基準監督署長

代理人 川口春利 河野善久 江口俊哉 清水啓次 ほか七名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五六年一〇月一五日付で亡鳥越末雄に対してなした労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付の支給をしない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外亡鳥越末雄(以下「亡末雄」という。)は、訴外有限会社才津組(以下「才津組」という。)に雇用され、才津組が昭和五六年一月三一日五島支庁長から受注し同年二月一日に着工した長崎県南松浦郡奈留町浦郷白這の相ノ浦港都市再開発用地造成工事(以下「本件工事」という。)現場において潜水作業に従事していたが、同年三月五日、右工事現場でコンクリート方塊の仮置作業中、クレーン運転士が方塊をフローチングクレーンで吊り上げ移動して海中に吊り下ろしたところ、方塊の置かれた海底が傾斜していたため、方塊が傾斜に沿つてずり落ちて海底まで達し、このため方塊とクレーン先端のフツク(自重二・四トン)を繋いでいた吊りロープが一旦緩んでいたものの瞬時に伸張し、それに連れて右フツクが急激に動き、それが仮置場の近くに繋留されていたクレーン船上で右作業を指揮していた亡末雄の下腹部に激突した。そのため亡末雄はクレーン船の床に叩きつけられて頭部を強打し、頭蓋骨多発骨折、脳挫傷、陰茎包皮裂創、腹部打撲、左坐骨恥骨骨折等の傷害を受け(以下「本件事故」という。)、長崎市籠町所在の十善会病院に運ばれて治療を受けたが、翌三月六日死亡した。

2(一)  亡末雄は被告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づいて療養の給付の請求をしたところ、被告は昭和五六年一〇月一五日、「被災者は労働基準法上の労働者とは認められない」ことを理由として療養の給付の支給をしない旨の決定をした(以下「本件処分」という。)。

(二)  原告鳥越雍子は亡末雄の妻であり、原告大雄、同伸二、同三千代はそれぞれ亡末雄の長男、二男、長女であつて、亡末雄の死亡当時同人と生計を同じくしていた者である。

(三)  原告らは、昭和五六年一二月七日、長崎労働者災害補償保険審査官に対し、本件処分についての審査請求をしたところ、同審査官は同五八年三月二八日これを棄却する旨の決定をした。そこで、原告鳥越雍子はさらに同年六月七日、労働保険審査会に再審査請求をしたところ、同審査会は同六〇年七月二四日これを棄却する旨の裁決をし、右裁決書は同年九月一七日同原告に送達された。

3  しかしながら、以下のとおり亡末雄は労災保険法第一条、労働基準法第九条に規定する労働者に該当する。

(一) 本件工事は、すべて請負人である才津組が計画し、同工事に従事する者はすべて才津組の現場監督責任者である訴外入江勇(以下「入江」という。)の指揮命令に従つており、亡末雄の潜水作業についても同人が自らの裁量で遂行する余地は全くなかつた。これは、潜水作業が港湾工事を請け負つた企業の工事日程のなかの一部における作業方法であることから生じるものである。

これを本件事故当日の作業についてみても、方塊の仮置作業は才津組の従業員の協力を必要とする作業であり、しかも陸上作業であつたから、全体作業の一部として入江の総指揮のもとになされた。

このほか、亡末雄は才津組の依頼により通常予定されている業務以外の陸上作業に従事することが取り決められ、亡末雄の勤務場所、勤務時間は才津組によつて定められ、また、亡末雄が任意に第三者と交替して作業をさせることもできなかつたのであるから、同人の労務の提供は才津組の指揮監督下における労働ということができる。

(二) 才津組と亡末雄との間の報酬支払い方法は日当と出来高払いの二つに分類されるが、このうちの日当が典型的賃金であることはいうまでもない。また、出来高払いについても、亡末雄は潜水作業の結果を請け負つているのではなく、才津組の指揮監督下で潜水作業をしたことの報酬として出来高払いという方法を採用しているのであつて、その実体は労務の対償である。そして、潜水作業員としての亡末雄の年収は一般勤労者の平均給与額とほぼ同額程度であつた。

(三) 以上(一)、(二)の事実によれば、亡末雄の本件工事現場における労務は才津組の指揮監督下に行なわれ、その報酬はこれに対する対価として支払われているのであるから、亡末雄は労働基準法上の労働者ということができる。

(四) 被告は、亡末雄が有限会社鳥越海事工業所(以下「鳥越海事」という。)の代表取締役であるから、亡末雄は労働者ではないと主張するが、鳥越海事は従業員一人を雇用するだけの零細企業であつて、その実体は亡末雄個人が補助労働者一人を使用して作業をしているにすぎず、同人が会社代表者であることと労働者であることとは矛盾しない。

(五) 被告はまた、才津組と亡末雄との間の雇用契約関係を否認し、亡末雄は孫請けにすぎない旨主張するが、本件工事における潜水作業は、亡末雄が才津組の多くの従業員と共同して行なうものであつて、その成果の完成義務は才津組が負つているのであり、亡末雄が完成義務を負うのではないから、才津組と亡末雄との契約関係を請負契約関係とみるべきではない。右(一)、(二)の事実からみて両者の間にはむしろ雇用契約関係があつたというべきである。仮にそうでないとしても、才津組と亡末雄との間に使用従属関係がある以上、亡末雄を労働者というに妨げないものというべきである。

よつて、亡末雄が労働基準法、労災保険法上の労働者に該らないことを理由とする本件処分は違法であるから、請求の趣旨記載の判決を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、才津組が亡末雄を雇用していたとの点は否認し、その余の事実は認める。但し、本件事故当時亡末雄が行なつていた作業を方塊の仮置作業とみるのは適当ではなく、方塊の据付作業の一部とみるべきである。

2  同2の(一)ないし(三)の各事実は認める。

3  同3(一)ないし(五)の事実および主張は否認ないし争う。

三  被告の主張

以下に述べるとおり、亡末雄は労災保険法の適用を受ける労働者に該らないから、被告のした本件処分は適法である。

1  亡末雄は、本件事故当時、鳥越海事の代表取締役として同社の営業目的である潜水土木工事に従事していたものである。

すなわち、亡末雄は潜水士免許を有し、もともとは個人で潜水工事に従事していたが、昭和五四年四月一九日鳥越海事を設立した。同海事は作業船および各種潜水用具を保有し、「綱とり」と呼ばれる補助者として訴外瀬崎秀吉(以下「瀬崎」という。)を雇用し、同五五年四月一日から同五六年三月三一日までの営業収入は金七一五万五〇〇〇円であつた。同海事は右収入の中から年間の役員収入として亡末雄に金三〇〇万円、原告鳥越雍子に金七二万円を支払い、また右瀬崎に対し年間の外注費(賃金)として金八九万八六九四円を支払つた。右のとおり鳥越海事は独立の事業体としての実質を備えていたものであつて、亡末雄はその代表者として、同海事の業務に従事していたのである。

2  才津組と亡末雄との間には雇用契約関係は存在しない。

本件工事の一部をなす潜水工事については、もともと訴外石川数義(以下「石川」という。)が才津組から請け負つていたものであり、その後石川が他の建設業者の下請工事を手掛けるようになつたため、昭和五五年九月から鳥越海事を孫請させたものであつて、才津組と鳥越海事との間には雇用契約関係は存在せず、鳥越海事は石川が下請業者として才津組から受け取つた報酬の一部の分配を受けていたにすぎない。

才津組は、潜水工事の報酬の一部を直接亡末雄に支払つたことはあるが、これは当時石川が才津組の工事現場を離れていたため、石川の了解を得て、便宜上亡末雄に支払つたにすぎない。

3  業務遂行上の指揮監督について

亡末雄が行なう潜水工事は、本件工事の一部を組成するものであるから、才津組の工事施工の計画、日程にそつて行なわれるのは当然であり、その結果、亡末雄は入江の施工管理上の説明、指示を受けて作業をすることになるが、これをもつて労働関係の場における指揮監督とみることはできない。そして、亡末雄が行なう潜水作業については、資格と技術を有する同人が、入江の指図を受けることなく、自らの判断と責任においてこれを遂行していたのである。

また、亡末雄の作業時間は才津組の労働者の勤務時間と同一ではなく、潜水工事の工程に応じ、その範囲内で亡末雄が判断し決定できたものであるし、潜水工事がない場合には他の業者の請け負つた港湾関係の工事現場で稼働することも許されていたものである。

4  報酬の支払い

亡末雄が才津組の工事現場でした潜水工事に対する報酬は、石川と才津組との間で交わされた覚書(乙第一二号証)に基づき、面積単価、数量単価の方法、すなわち工事の達成実績に応じて支払われるものが殆どであり、日数単価(常用一日三万五〇〇〇円)の方法は単価計算の困難な作業について補助的に採用されているにすぎず、全体としてみれば、工事の達成実績に応じて支払われているものと解すべきである。

第三証拠 <略>

理由

一  請求原因1の事実中、訴外亡鳥越末雄が才津組から雇用されていたとの事実及び原告主張の作業が方塊の仮置作業であるとの主張事実を除き、その余の事実は当事者間に争いがなく、また同2の(一)ないし(三)(本件処分、審査請求、再審査請求等)の各事実も当事者間に争いがない。

二  そこで、亡末雄が労災保険法の適用を受ける「労働者」に該当するか否かについて判断することとする。

<証拠略>によれば、以下の事実が認められ右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  亡末雄が本件工事現場で潜水作業に従事するに至つた経緯

才津組は、道路工事、河川工事、港湾工事等の請負を業とする会社であるが、本件工事のような港湾関係の工事については潜水作業を伴い、潜水作業には専門の技術と資格が必要であるため、昭和五三年ころから右技術・資格を有する石川と契約を締結して潜水作業を行なわせていた。才津組は昭和五五年から同五六年にかけて、長崎県南松浦郡奈留町で本件工事のほか数件の工事を受注しており、それらの工事の潜水作業はいずれも石川に発注し、石川は、同五五年八月から本件工事現場において訴外橋本国臣(以下「橋本」という。)と共に潜水作業に従事していた。

ところが、石川は同五五年一〇月ころ、別の会社から長崎市近郊の工事現場の潜水作業を依頼されて同所へ赴くこととなり、その際、石川は同人と共に潜水作業に従事していた訴外橋本が、まだ経験が浅かつたため、以前から仕事の紹介を依頼されており、潜水作業の資格を有し経験も豊かな亡末雄に橋本と共同で現場作業にあたつてもらうこととし、その結果、同年一〇月以後、亡末雄が橋本と共同で奈留島内の才津組の工事現場で潜水作業にあたることとなつた。右のような潜水作業者の交替については、才津組では潜水作業が滞りなく行なわれさえすれば作業の担当者を誰にするかは石川の判断で決定してよいことと考えていたため、才津組でも異議なくこれを受け入れた。

2  本件工事の内容及び亡末雄の潜水作業についての才津組の指揮監督について

(一)  本件工事は相ノ浦港を改修するために東から西へ入り込んだ白這地区の入江の入口(東側)部分に南北方向に埠頭が造られた後、その西側部分に残された入江部分を埋め立てるに先立ち、同入江に流れ込む川の流路を入江の北側に作るための護岸工事である。その護岸工事は、陸上で型枠や方塊を製作し、製作した方塊を護岸部分に据え付け、さらにコンクリート工事をすることによつて行なわれる。

(二)  方塊を据え付けるにあたつては、次のような潜水作業およびそれに付帯する作業が行われる。

<1> まず、方塊を据え付ける部分の海底に潜水作業員の指示に従つて捨石を投入する。

<2> 次に、潜水作業により、バカ棒と呼ばれる棒を使つて海底面の高さを荒均しする。

<3> 本均し

海底に、方塊の幅に応じて、四ないし五メートル間隔でトンボ杭と呼ばれる杭を打ち込み、次に、潜水補助者が海上から測定した数値に従つて、潜水作業者が杭の先端を切断し、その高さを合わせる。そして、海中で杭の上端に「抜き」と呼ばれる板を渡して均し面の高さを決めたうえで、「抜き」の上で「レール」と呼ばれる綱管を滑らせながら方塊等を設置する部分を荒均しより厳しい精度で均す。

<4> 方塊の仮置

才津組の陸上作業員が方塊をクレーン台船に積み、作業場付近の仮置場所に下ろす。これは本来的には陸上作業であるが、その際海中で玉掛け作業をすることが必要な場合があり、この玉掛け作業は潜水作業員が行う。

<5> 方塊の本据え

潜水作業員が船上または突堤上からクレーン運転士に合図し、方塊を所定の位置に据え付ける。この際、潮の干満により潜水作業を要する場合とそうでない場合さがあるが、いずれも潜水作業として取り扱われる。

(三)  ところで、本件工事を進めるにあたつては、才津組の従業員である入江が現場主任として工事全体の進行に責任を負つており、同人が設計図書どおりに作業がなされているか否かをチエツクしたり、工程表に従つて工事を進めるため、毎日の仕事の内容について同社の従業員に対し指示を与えたりしていた。

そして、入江と亡末雄との関係をみると、亡末雄及びその綱とりが行うべき潜水作業の内容および作業時間等は前日までに入江が全体の作業日程に従つて亡末雄と話し合つたうえで決定し、それに従つて亡末雄が潜水作業を行なつていた。しかし、具体的な潜水作業の遂行方法については陸上作業員にはその詳細がわからないので、亡末雄が自らの判断で補助者である瀬崎を指揮しながら行なつていた。潜水作業のうちには、才津組の従業員と協同して行なわれるものもあつたが、その場合も潜水作業に係る部分については亡末雄が才津組の従業員を指揮して行なつていた。

また、石川は、時折奈留町内の工事現場を訪れたり、電話で連絡したりして亡末雄に対し潜水作業の進行状況について報告を聞いたり、各現場の進行方法について指示を与えたりしていた。

(四)  本件事故当日の作業の状況をみると、同日は前日に入江と亡末雄とが打ち合わせた作業計画に基づいて午前中に亡末雄が午前中に本均し作業を行ない、午後になつて方塊の据付作業をすることになつた。その際、据付作業を行なうにあたつては、方塊を吊り上げた七三トン・クレーン船が据付現場まで進入できなかつたため、入江の指示により、一旦据付場所の手前の既設突堤近くに方塊を下ろしてもう一台の五〇トン・クレーン船に積み替える作業を行なうこととなつた。亡末雄は七三トン・クレーン船の運転手に指示して方塊を下ろさせた後、一部が海洋面に出ていた方塊に飛び乗つて方塊に掛けてあるワイヤーロープの一つを取りはずしたが、入江から方塊がずり落ちそうで危険であるからといわれて、五〇トン・クレーン船に飛び移り、同船上でクレーン運転手に指示していた際に本件事故が発生した。

(五)  勤務時間についてみると、才津組の従業員は午前八時から午後五時までが勤務時間であり、亡末雄もおおよそこの勤務時間帯に作業をしていたが、才津組の従業員が毎朝午前八時に一か所に集合してそれから作業を開始するのに対し、亡末雄はそのときに集合することを義務づけられておらず、その日の作業によつて、昼から作業を開始したり、逆に、午前八時前から現場で待機していることもあつた。終業時刻についても、才津組との間で別段取り決めはなかつた。そして、才津組では亡末雄について出勤簿を作成するようなことはなかつた。

(六)  このほか、亡末雄は、工程上潜水作業が行なわれない日には陸上作業に従事することがあり、その際には才津組の従業員と同様その作業の遂行方法についても才津組の指揮監督を受けていたが、陸上作業は、亡末雄にとつては空き時間の有効利用となり、また才津組でも労働力の補助となるため、両者の利害関係が一致するため行わなれているものであり、亡末雄は陸上作業をするか否かについては諾否の自由を有していた。また、本件工事において亡末雄が陸上作業を行なつた日数についてみると、昭和五五年一〇月、同年一二月には一日もなく、同年一一月に一日、同五六年一月に二日、同年二月に六日あるのみである。

また、才津組では、同社の潜水作業がないときには、亡末雄が他の会社の潜水作業に従事することも自由であると考えていた。

3  報酬の支払いについて

(一)  才津組と石川との間では報酬についての覚書(<証拠略>)が取り交されており、それによると、報酬の支払い形態は工事数量あたりの単価を決め出来高に応じて支払う出来高払いと、「常用」と呼ばれる日当形態との二種類があつた。そのうち出来高払いについてみると、例えば、本均しは一平方メートル当たりの単価が四〇〇〇円、荒均しは同じく一平方メートル当たりの単価が三〇〇〇円、方塊の据付については一本当たり五五〇〇円というように決められていた。このほか、場合により潜水作業として行なわれる方塊の仮置や、水中型枠の据付、取りはずし等は、単価計算ではなく、「常用」として、潜水一組(潜水者と潜水補助者の二人)で一日当たり三万五〇〇〇円とされるものと、陸上、船上での作業について潜水一組で一日当たり一万一〇〇〇円とされるものとがあり(但し、後者については前記覚書では常用の「半日」と表現されている。)、いずれも作業時間に応じて支払うこととされた。そして、その日の作業の内容によつては常用での支払いと合わせて出来高での支払いを受けることもあつた。

潜水作業の内容が適切でなく、作業の手直しを要する場合には、潜水作業者の負担において行なうこととし、手直しの分についての報酬は支払われていなかつた。

そして報酬は、潜水作業者の作成する請求書と才津組の作業日報に記載された作業量や設計書とを照らし合わせたうえで、一か月分がまとめて支払われていた。

(二)  ところで、亡末雄が石川から潜水作業を引き継ぐにあたつては、新たに才津組と亡末雄との間で報酬についての取り決めをすることはなく、才津組と石川との間では、石川が潜水作業を行なつているものであり、亡末雄はその配下の者であるとの認識のもとに従前どおり覚書に従つた報酬額を支払うこととして、以後も報酬額は右覚書の基準に従つて算出され、報酬支払いの対象も従前どおりとされ、亡末雄について賃金台帳が作成されるようなことはなかつた。

右報酬支払いの相手方については、石川が本件工事現場を離れるようになつたため、同人の要望により、同年一〇月分以降は二人分を一括して、橋本または亡末雄に支払われていた。そして、二人の間では石川と相談のうえ、右報酬額からそれぞれが一定の割合で受け取り、亡末雄および橋本は右報酬のうちからその一部(一割ないし一割五分)を石川に対し支払つていた。

(三)  昭和五五年一〇月分以後の報酬の具体的な支払い額についてみると、亡末雄と橋本の二人分を合わせて、同月分が四〇〇万円、同年一一月分が四〇〇万円、同年一二月分が二四〇万円、同年一月分が二五〇万円であり(なお、同年二月分は一〇〇万円が才津組から石川に対して支払われ、それが石川から、原告鳥越雍子と瀬崎に支払われた。)、才津組では端数の報酬額部分等の支払いは保留し、そこから定期的に立替払いしている潜水作業船の燃料代や食事代等を差し引いて清算していた。

(四)  右期間中の才津組に対する請求書から前記日当形態での作業と出来高払い形態での作業の比率をみると、各月とも出来高払い形態での支払い額が全体の額の八割ないし九割以上を占めていた。

4  有限会社鳥越海事工業所の実体について

亡末雄は、潜水作業をするにあたつては、作業のために必要な用具として作業船一艘(取得価額約一三六万円)、ウインチ、コンプレツサー(取得価額合計約八〇万円)のほか乗用車二台を使用しており、これらはいずれも自己の費用で調達し、前認定のとおり右船舶の燃料代も自己の費用で負担していた。また、潜水作業のために必要な「綱とり」と呼ばれる作業補助者として瀬崎を雇用し、同人に対し一か月金二〇万円の賃金を支払うほかその食事代を負担していた。ところで、亡末雄は昭和五四年四月一九日鳥越海事(資本金二〇〇万円。代表取締役亡末雄、取締役原告鳥越雍子)を設立し、その後は右作業船等の所有、右瀬崎に対する賃金の支払いは同海事によつてなされる形式となつたものの、同海事の財産や従業員は右にみただけのものであり、その実体は個人営業とさほど異なるものではなかつた。

5  以上1ないし4の各事実に基づいて、亡末雄が労災保険法の適用を受ける労働者であるか否かについて判断する。

労災保険法の適用を受ける労働者について同法は定義規定を置いていないが、同法にいう労働者とは労働基準法に規定する労働者と同一のものをいうと解される。ところで、労働基準法第九条によれば、「労働者とは、職業の種類を問わず、前条の事業又は事務所(以下事業という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。」と規定しており、これに同法一一条の賃金の定義規定も併せ考えると、同法にいう「労働者」とは、労務提供の形態や報酬の労務対償性その他これに関連する諸要素を総合考慮したうえで使用従属関係の有無によつて決すべきものと考える。

そこで、本件についてこれをみるに、右で認定したとおり、潜水作業の内容および作業時間等については現場主任である入江が前日までに亡末雄と相談のうえで決定しており、また、亡末雄は潜水作業のない日には才津組の指揮のもとにその従業員と同じく陸上作業に従事していたというのであるから、注文主から矛め包括的な指示や期限の制約を受けるだけで日々の工事の進行については裁量を持つ典型的な請負契約とは異なる要素をもつものといわねばならない。しかしながら、他方、潜水業務が専門性を有する業務であるため具体的な業務遂行の方法については亡末雄が同人の裁量に基づいて行なつているのであり、始終業時刻についての拘束はなく、出勤簿も作成されておらず、才津組においては、潜水作業のないときには他の業者のところで潜水作業をおこなうことも自由と考えているなどの事情がみられ、これらに加えて右入江と亡末雄の作業内容についての相談も入江の一方的な指示によるものではないうえに、入江がその主導権を握つているとみられる点も潜水作業が全体の工程のなかに組み入れられていて他の作業と切り離して行なうことができないためであつて、これをもつて潜水作業についての指揮監督とみるのは適当でないことや、陸上作業については、その日数は一か月に数日程度であり、亡末雄が諾否の自由を有することなどを併せ考えると、才津組が亡末雄の業務の遂行について指揮監督を行なつていたとみるのは適切ではないといわねばならない。

もつとも、本件事故時における方塊のクレーンによる移動については、原告は、入江の指揮監督下の陸上作業としての方塊の仮置作業であると主張し、被告は潜水作業としての方塊の据付作業の一部に属するものであると主張している。右作業が亡末雄ら潜水作業員と才津組所属の陸上作業員との協同によつてなされる作業だけに、作業の性質そのものから一義的にそのいずれであるとして、才津組の指揮監督下の労働であるか否かを決することはできないが、前叙認定のとおり、方塊を本据え個所へ移動すべく亡末雄がクレーン運転手に指示をなしていた作業であることからして、亡末雄がその潜水作業員としての資格と技術を生し、その裁量のもとになされていた方塊の据付作業の一部とみるのが相当であり、才津組が右作業の指揮監督を行つていたとみるのは適切ではないとの前記の判断の妨げとなるものではない。

また報酬の支払いについては、才津組は亡末雄について賃金台帳を備え付けておらず、報酬の具体的な内容をみても出来高給がその殆どを占め、手直し作業については報酬が支払われないなど、報酬の労務の対償としての性格は弱い。

さらに、鳥越海事の実体は亡末雄の個人企業と異ならないことは前認定のとおりであるが、個人企業と異ならないとしても亡末雄(鳥越海事)は、潜水作業のための船等を所有して、「綱とり」と呼ばれる補助労働者を使用し、船の燃料代や右「綱とり」の給与や食事代は亡末雄自らが負担するなど曲りなりにも独立の事業者としての性格を備えており、亡末雄が形式的に法人の代表取締役であることにかかわりなく、実質上事業者性を具備していたと認めることができる。

これらを総合考慮すると、亡末雄の労務提供の形態については、才津組からの指揮監督は認められず、報酬は労務の対償というよりは出来高に応じて支払われるという要素が強く、独立の事業者としての性格も具備していたのであるから、亡末雄が才津組に対し労務を提供するにあたつての両者の関係については使用従属性は認められないものといわねばならない。そしてまた、石川との関係でみても、亡末雄は石川から日常の潜水業務の遂行について具体的な指示を受けているわけではなく、また同人から労務の対償としての報酬を受けているとみるのも適当でないから、亡末雄が石川に対し使用従属関係にあるものとみることもできない。従つて、亡末雄を労災保険法の適用を受ける労働者と認めることはできないものといわねばならない。

よつて、亡末雄が労働者でないことを理由としてなされた本件処分は適法であり、他にこれを取り消さなければならない違法は認められない。

三  以上のとおりであつて、本件処分の取消を求める原告らの被告に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松島茂敏 大段亨 大須賀滋)

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